

A person, as a person.
人は簡単に人生の目的を見失う。同僚、友達、家族は僕たちの人生を彩ってくれる大切な人たちのはずだが、僕たちは簡単に彼らのことを見過ごしてしまう。スマホで自分とは関係のない人間の醜聞に踊らされ、会社の成長やKPI達成のために自分の人生を差し出してしまう。思い返してみよう。本当にそれらが大切なのかと。
身の回りにいる人だけじゃない。僕たちは自分自身さえも見失い。ありもしない「偽りの希望」に向けて人生を浪費する。
ルビンの壺というものは誰もが目にしたことがあるだろう。視点の捉え方によって壺にも見えるし、人間が二人いるようにも見える。私たちの状況はこれがまさに壺にしか見えない状況なのだと思う。人間同士は近くにいるのに、彼ら同士の目線は決して合わない。お互いが違う地平を見ているのだ。一方で、それを観測する第三者も彼らを人として認識していない。
私はotioseを「人」を「人」として認識するものの象徴にしたかった。ルビンの壺の左右両方に丸い点を目として書き入れ、壺の入り口を額まで下げ、壺の床面を顎まで上げた。これでルビンの壺という多視点のアートは失われ、二人の人間が見つめ合うただの凡庸な落書き絵に没落した。
ただ、それでいい。僕たちは「人」を「人」として認識する、確かな視点を確立したのだ。